B. ヘパリン療法

1.治療の背景、必要性、目的

 厚労省不育症研究班(平成20〜22年度)の調査では、抗リン脂質抗体症候群はわが国の不育症の原因で最も多いことが分かっています。抗リン脂質抗体症候群では、血栓ができやすく、絨毛(将来胎盤になる組織)の発育が阻害され流産や死産が起こるといわれています。また、血栓ができやすい体質(血栓性素因)の人も流産や死産を起こしやすいことが分かってきました。こうした原因による不育症に対して、抗血栓療法が行われるようになりました。
 近年、欧米の施設で低用量アスピリンに抗凝固薬であるヘパリンを併用した治療に関する研究調査が行われました。その結果、低用量アスピリンのみでは生児を得る確率が50%以下であったのに対し“低用量アスピリン・ヘパリン併用療法”を行った場合には奏功率が70~80%であった事が報告されました。こうした背景をふまえ、日本医大付属病院女性診療科・産科においても、抗リン脂質抗体陽性の方を対象とし,妊娠予後の改善を目的とした“低用量アスピリン、ヘパリン併用療法”を行っております。
 最近(平成24年1月〜)、抗リン脂質抗体症候群などの血栓性素因を有する妊婦さんに対するはヘパリンの在宅自己注射療法に保険が適用されることになりました。

 

2.治療の対象
 

保険適応となる場合

1) 抗リン脂質抗体症候群合併妊娠
 産科臨床所見
 (1)3回以上の連続した原因不明の10週未満の流産(習慣流産)
 (2)34週以前の重症妊娠高血圧症腎症、子宮内発育遅延児出産の既往
 (3)妊娠10週以降の原因不明流産・死産

 のいずれかがあり、

 検査所見
 (1)ループスアンチコアグラント
 (2)抗カルジオリピン抗体(IgG, IgM)
 (3)抗β2GPI抗体

 のいずれか1つ以上が陽性(一定の基準値以上が2回以上陽性)を満たす場合を抗リン脂質抗体症候群といいます。

2)その他の血栓性素因
 (1)先天性アンチトロンビン欠損症
 (2)プロテインC欠乏症
 (3)プロテインS欠乏症

 などの血栓性素因のある妊婦さん。
 * なお、低用量アスピリン療法は抗リン脂質抗体症候群などでは保険適応となりません。

 

保険適応とならない場合

以下のようなケースでは自費(自由診療)でヘパリン療法を行います。
1) 抗PE(フォスファチジルエタノラミン)抗体陽性例
不育症の原因検索で調べられる抗PE抗体は抗リン脂質抗体の一種ですが、抗リン脂質抗体症候群の分類基準には入っていません。しかし、抗PE抗体価が高力価(99パーセンタイル以上)であったり、他の血栓性素因(凝固第XII因子欠乏症など)が合併していたりする場合、ヘパリン療法を行う場合があります。
2) 抗リン脂質抗体症候群分類基準を満たさないが、ヘパリン療法を行った方がよいと判断される場合
流産回数が2回であるが抗カルジオリピン抗体の抗体価が非常に高い場合、流産回数が5回だが抗体価が基準値よりやや低い場合などは、抗リン脂質抗体症候群分類基準は満たしませんが、医師の判断でヘパリン療法を行います。
 

3.治療の方法

排卵後、高温期に入った時点で低用量アスピリンの連日服用(バイアスピリン100mg/日 またはバファリン81mg/日)を開始し妊娠35週まで継続します。又、超音波診断にて子宮内妊娠が確認された時点よりヘパリンカルシウムの併用(ヘパリンカルシウムシリンジ「モチダ」、またはカプロシン(R)皮下注用5000単位×2回/日 皮下注射)を開始します。ヘパリンは現在のところ注射用製剤しかありません。一日2回、12時間ごとに注射を打ちに通院(約8ヶ月間毎日)するのは、患者様にとって大きな負担となります。そこで、糖尿病の患者さんがインシュリンの在宅自己注射を行っているように、ヘパリン療法開始時は数日間の入院指導を行い自己注射のトレーニングを行います。自己注射というと驚かれる方も多いと思いますが、通常は2−3回練習するとすぐにできるようになります。打ち始めの頃は血液検査を頻回に行い、副作用が出ていないか、ヘパリンの量が適正であるかを評価し、必要に応じて投与量を調節します。分娩まで在宅自己注射法によるヘパリン投与を継続します。

4.副作用について

 カプロシンの副作用について薬剤添付文書には次のような記載があります。

(1.)ショック、アナフィラキシー様症状
ショック、アナフィラキシー様症状が起こることがあるので、観察を十分に行い、血圧低下、意識低下、呼吸困難、チアノーゼ、蕁麻疹等の異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと。
 

(2.)出血
脳出血、消化管出血、肺出血、硬膜外血腫、後腹膜血腫、腹腔内出血、術後出血、刺入部出血等重篤な出血があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には本剤を減量又は中止し、適切な処置を行うこと。なお、血液凝固能が著しく低下し、抗凝血作用を急速に中和する必要がある場合には、プロタミン硫酸塩を投与する。
 

(3.)血小板減少、HIT等に伴う血小板減少・血栓症
本剤投与後に著明な血小板減少があらわれることがある。ヘパリン起因性血小板減少症(HIT)の場合は、著明な血小板減少と脳梗塞、肺塞栓症、深部静脈血栓症等の血栓症やシャント閉塞、回路内閉塞等を伴う。本剤投与後は血小板数を測定し、血小板数の著明な減少や血栓症を疑わせる異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行うこと。
 このHITがヘパリンの副作用で最も怖いものですが、幸いなことにわが国で妊婦に対して行ったヘパリン療法では現在のところ重篤なHITは報告されていません。
 
 この他、ヘパリンの長期投与による副作用として骨量の減少が挙げられますが,一時的なもので,中止後に回復します。また、妊娠初期に投与しても催奇形性はなく、胎盤が完成されてからは胎盤がバリアとなり赤ちゃんには移行しません。また、その他に症状は軽いものの頻度の高い副作用には以下のものがあります。
 

1) 肝酵素の上昇、肝機能障害
 一過性に肝酵素(AST,ALTなど)が上昇することがあります。多くは投与開始後1カ月ほどで落ち着きます。
2) 注射部位の発赤、かゆみ、腫脹、硬結
 最も多い副作用です。アレルギー反応の一種と考えられますが、多くは程なく軽快します。同じ場所に繰り返し注射をしたりせず、毎回違う場所に打つなどの工夫で介することができます。長引いたり、重症化したりする場合はすぐに主治医に報告してください。
3)その他
 ヘパリンは比較的速やかに体内から代謝されますので、分娩が開始する前に中止すれば、分娩時に異常出血を来すことはまずありません。
 このように、ヘパリンは使い方さえ誤らなければ安全に使用できる薬です。とはいえ、副作用は一旦起これば大事に至ることがあるので、初めは入院してしっかりと管理することが大切です。また、ヘパリン治療中は血液凝固系検査による十分なモニタリングを行います。


 これらの副作用を未然に防ぎ、万が一副作用が出た場合でもすぐに対処できるように、当院では数日(1〜2泊)の教育入院を原則としています。
 

 
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